神楽坂の達人
歴史と今が響きあって「龍公亭」は時を刻み続ける
2011/10/27
神楽坂でお店を営んでいる方や在住者のお話を伺いながら、神楽坂の魅力をお伝えする「神楽坂の達人」。
今回は神楽坂通りに創業120年以上の歴史を持つ中華の老舗「廣東名菜 龍公亭」の4代目、オーナーシェフの飯田竜一さんにお話を伺いました。

「廣東名菜 龍公亭」4代目オーナーシェフの飯田竜一さん
創業120年以上の歴史を持つ、老舗中華料理店「龍公亭」の4代目
120年以上続く「龍公亭」の歴史を簡単にお聞かせください。

創業当時の写真。
モダンな大理石の建物が一際目をひく
明治22年(1889年)に初代の飯田栄吉が創業し当初は「あやめ寿司」という寿司屋でした。龍公亭を始めたのは大正10年(1921年)からです。当時「生もの」にあたるハヤリ病が発生し社会問題化していたため、初代栄吉はこれからの時代は火を通す中華料理がいいと考え西洋風の建物に改築し1階はあやめ寿司、2階で龍公亭を開きました。以来この場所で店を続けています。
同じ場所で、しかも120年以上の歴史を持つ飲食店というのは大変貴重な存在ですね。
そうですね。今まで100年以上の歴史を持つ店ということで様々な書籍にとりあげられました。先日もテレビ局の取材があったのですが、取材にみえる方はみなさん「100年以上続いているお店がなかなかないんですよ」とおっしゃる。ありがたいことだと思います。
6月には3代目が自費出版で「龍公亭物語」という本を出版しました。御贔屓いただいているお客様にエッセイを寄稿していただいたのですが、それぞれのお客様の龍公亭に対する思いがつづられていて、改めてすごいことだと感じました。

大正時代の龍公亭開店当時から
店内に掛けられていたもの

現在の看板
ロゴは松永真氏によるデザイン
飯田さんが、4代目として「龍公亭」を継ごうと意識されたのはいつ頃からでしょうか?

厨房にて料理をする飯田さん
“継ぐ”ということは、特に深く意識をせず、かといって誰かに強制されたわけでもないですね。
料理を作ることや厨房の中で働くということは幼い頃から見てきたので、料理の道に入ったことは本当に自然なことだったように思います。ものを創り出すということも嫌いじゃないですし……
「龍公亭」に入られたのは、何歳のときですか?
23歳のときです。赤坂璃宮でともに修業をした先輩と後輩と一緒に帰ってきました。
のれん分けした龍公亭厚木分店で修業させていただいたのが18歳、その後に周富徳さんが料理長を務めていらした赤坂璃宮で3年修業しました。
璃宮には香港人や中国人の方がたくさんいて、料理名はもちろんのこと食材や日常会話など広東語が飛び交っていました。料理人も1番鍋から5番鍋までずらっと並んでいましたから、同じ廣東料理というジャンルだけど自分が見てきた「龍公亭」とは全く違う。強烈な印象を受けました。
刺激的な職場で修業されたんですね。
そうですね、とても濃い経験をさせて頂きました。当時の周さんといえば、まさに時の人。テレビにも度々出演されていました。私も一緒にテレビ局に出向いてアシスタントをさせていただいたりもしていました。
璃宮は本場の味を出す最先端の中華料理店として繁盛してましたから、仕込みの量も多かった。イカひとつとっても自分の背丈分の箱に入っている量を切る、伊勢エビに至っては仕込みすぎて普通のエビに見えてくるほど。怒涛の忙しさの中で感覚も麻痺していましたね。
貴重な経験を積み、「龍公亭」に入られた時は、どんなお気持ちでしたか?
今振り返れば、もっと修業を積んで勉強をしてもよかったと思いますが、当時は修業した経験を生かして、その勢いで「龍公亭」を変えてやろうというぐらいの気持ちがあったのかなと思います。若かったですね。
創業以来120年以上の歴史を受け継ぐというプレッシャーはありましたか?

初代・飯田栄吉さん
ないですね。
私自身、この120年の歴史は尊重していますが、あまり120年の歴史だけにとらわれたくないというスタンスなんです。
初代から受け継ぎ2代目、3代目と代がかわればそれに応じて変わったこともあります。私は4代目にしてはじめて龍公亭の厨房に立ったわけですし、120年の歴史に甘んじるつもりもありません。
歴史というものに縛られて保守的になってしまうのではなく、曽祖父の栄吉さんのように、柔軟な発想を持ってやっていきたい。だから、周りから期待されていることと、自分が考えていることのギャップの大きさをひしひしと感じることもありますね。
ギャップの大きさとは?

創業以来、常連さんに愛されている「蟹玉」も
龍公亭の看板メニューの1つ
例えばメニューです。
私が「龍公亭」に入った当初は、従来のメニュー以外に新しいメニューを取り入れたいと思っていました。ただ新しいメニューを足していくだけでは、品数が200種類位になっちゃう。当然、古いメニューを削っていかなければならなかったのですが、削ると叱られるんです、ご贔屓にしてくださるお客様に。「なんで私の好きだった○○がないの!」と。
でも自分は、新しいメニューを増やしたい。この葛藤は自分が思っていることと周りが思っていることのギャップによって生じるものかなと感じました。
一方で、この120年という歴史は、お客様あってこそ。お客様が店を贔屓にしてくれるからこそですから、お客様に作っていただいた歴史でもあるわけです。
だから、古いメニューを否定することは店の歴史を否定することになり、ひいてはお客様を否定することにつながると最近は思えるようになりました。
今は古いメニューも大切にしながらバランスを取って新しいメニューを入れていくようにしています。
お店に人柄が出る
お店のリニューアルから4年目を迎えましたが、リニューアルにあたってのコンセプトはありましたか?
私が龍公亭に戻ってから2度目のリニューアルになるのですが、今回は建て替えということで「思い切ったことをしたい」と考えました。
それまでのうちの客層は50代から90代、とても高かったんです。でも商売をこの先も続けていくには客層を広げていかなければいけないと思っていました。よくある中華のイメージや、固定観念に縛られた120年続いている老舗っぽさを前面に出すより、若い方にも気軽に入っていただける新しい魅力も取り入れたかった。しかも、誰にも真似できないような。そのかわり、料理も作り手も変えない。店の雰囲気は変わっても味がかわらなければご贔屓のお客様も納得してくださるだろうと思いました。
120年続いている店で、こんなに劇的に変えている店は多分ないと思います。
神楽坂の街並みとの調和も考えました。電飾の看板や色とりどりの看板が通りにひしめき合い少しでも目立つようにしようとしている中、うちはあえて引っ込め、2階にテラス席をつくりました。神楽坂の街並みを見下ろしながら食事をするのも楽しいですし、お客様の好みにあわせ個室や2階のダイニング、1階のオープンキッチンのカジュアルな客席などご利用頂いています。
座る席が変わるとその時々で感じる空気感も変わります。魅力のある「神楽坂・龍公亭」をつくっていきたいですね。120年の老舗っぽさは伝わりにくいと思いますが。
そうですね。確かに120年以上の歴史を持つ老舗、という空気感はあまり感じられませんね。

店内の2階へ続く階段横に展示された
「寿司桶」は、龍公亭の歴史の証
ただ、取材のお話をいただく時には、たいてい「120年の歴史」という重みをもとめられまして、取材に来られた方も困るし、私も困ることになっちゃって……。
昔からのモノが何かないかといわれても、ないんです。調理道具なんかは古くなって使えなくなれば捨ててしまいますから。
それでも、最近は創業時に使っていた「寿司桶」を飾るようにしました。あやめ寿司のときのものですから、期待に応える昔からの“モノ”です。
そういうものを置かないと、とても120年続いているお店には見えないかもしれませんね。
リニューアル後の常連のお客様の反応はいかがでしたか?
様々でしたね。喜んでくださる方もあれば、戸惑う方も。オープンキッチンにしたことで「若い人に入れ替えたの?」とか。以前は厨房は見えませんでしたから、年配の熟練した職人たちが腕をふるっていたと思われていたんでしょうね。最近はすっかり馴染んでいただけたようです。
お店はリニューアルしたけれど、料理人として私がやっていること自体は昔と変わっていないし、本質を理解して頂けたのかなと思っています。
古いものと新しいものとの中で葛藤を感じられたというメニューについて、常連さんへの対応はどのように行なっていらっしゃいますか?
10数年前は、必要がないと思って消したメニューを求められても、「メニューにございませんので……」と断ってしまったこともありましたが、今はお作りします。
ただ、自分としては古いものだけを漫然と作り続けるのではなく、新しいものもやりたいですし、古いものにプラスアルファを足せば、今までの古いものは不要になるものもあるんじゃないかという感覚も持っています。
例えば「海老そば」。海老とネギだけが入っているシンプルなしょう油味のつゆそばですが、味のベースは変えずに、イカと少しの野菜を加えて「五目そば」にすれば、「海老そば」よりも手の込んだ美味しいメニューになるので、「海老そば」は不要になるのではないかと。でも、お客様はそうじゃない。あくまでも「海老そば」がいいんです。そういったところに、お客様と作り手側とのギャップは感じます。
今は、その辺のギャップを埋めてこそ4代目の私が料理人として厨房に立っている「龍公亭」であり、長く続いている店ならではのバランス感覚なのかなと考えています。
思い入れのあるメニューはありますか?
ランチタイムに出している「クラッシック酢豚」は当時の味をほぼ忠実に再現しているメニューで、私自身、幼いころから慣れ親しんできて、その味が忘れられない大好きなメニューです。醤油ベースのいたってシンプルな甘辛の味付けですが、ランチでも人気メニューです。
ここ数年は自分たちが好きなメニューを作ろうと思ってやってみたら、評判がいいんですね。その中で徐々に昔のメニューもランチに出したりしています。
新しいメニューでいえば、麻婆豆腐です。ザーサイを刻んで食感を良くしたり、豆板醤は3種類位ブレンドして味に深みを出したり、試作を重ねやり切った感があります。
おかげさまで麻婆豆腐もうちの看板メニューになりました。
麻婆豆腐に限らず、メニューは全ておなじものでもちょっとずつマイナーチェンジしています。塩ひとつとっても、こっちの塩よりこっちが合うなとか、一見変わらないように見えても、実はほんの少し変えています。それはもう言わなければ決してお客様にはわからないレベルです。
それが店の“こだわり”になるのですね。
こだわりというか、ただ毎日同じように同じものを作るだけでは駄目だと思っています。その変化をいちいち伝える必要はないけれど、実は変わっている。そして、確実に美味しくなっているという変化は必要だし、そうしているつもりです。
例えば「季節野菜の炒め物」というメニューは、本当に季節ごとに中身がかわります。秋にはきのこが多めに入るし、冬には冬ならではの野菜がふんだんに入る。同じメニューでも見た目も食感も全くちがうものになります。それで四季を感じてもらえたらいいと思っています。
よく「シェフのきまぐれサラダ」というメニューなのに、入っている野菜はいつも同じという店もあります。うちも本当はそういうメニュー名にした方がわかりやすいのかもしれません。でも、しない。苦手なんです。だから、商売下手って言われます。
そういう意味では確かにそうかもしれませんね。
私は一見、コワモテでとっつきにくいというイメージを持たれがちなんですが、全然そんなことはありません。口下手な分、料理で表現しようとするところはありますが。
それと同じで、そういう私の性分がお店にも出てしまっているのかもしれません。店の外観や内観は新しくなりましたが、創業から受け継いできたことはあまり変わっていません。そこを、大きく宣伝しようという気もないから伝わらない、でも隠しているわけでもないですよ。だから商売が下手……と言われたりするんでしょうか。
でも、120年を超えて今も尚、お店をきちんと続けてきていらっしゃるのは素晴らしいことだと思います。その秘密はどこにあると思われますか?
どうなんでしょう?私自身、何か特別なことをやっているつもりはありません。初代から代々つむいできた歴史の中には苦労も多かったと思います。なにより、お客様に恵まれ大切に思っていただいたことが大きいと思います。でもそれ以外について思うことができるのは、きっとまだまだ先のことになるでしょうね。
“神楽坂”で創業120年のお店だからこそ、お手本になりたい
龍公亭が120年という歴史を積み重ねてきたこの神楽坂という街について思うことは?

神楽坂通りも大きく変化し続けています
私が知っているだけでも、この何十年という間に、神楽坂通りも大きく変わりました。
その中で、120年続いているお店は、もううちしかないわけです。だから、もはや変化の激しい神楽坂にあわせるのではなく、ただ変わらずにこの場所にに龍公亭があることが大事なことだと思っています。偉そうなことを言えば、うちが手本になっていかなければいけないと思っているところはあります。
「しばらく神楽坂に来なかったら通りの様子が変わっていてわからなかった」といわれることもしばしば。新しい店ができたり、なくなったりと変化はめまぐるしいのですが、そのなかで、龍公亭は龍公亭としてしっかり正統派でやればいいのかなとおもっています。地元の方や馴染みのお客様同士が挨拶を交わしながら食事をしている風景が店の中にあることが、「神楽坂」の龍公亭の自然な姿であって、それがそのまま「神楽坂」という街が持つ歴史や誇りのような部分でできているある種のブランド力を支えることが出来るんじゃないかなと思っています。
本音がつまったお話ですね。神楽坂で暮らしているからこそのお話もたくさん伺えました。本日は長時間お時間を頂き、ありがとうございました。
■『神楽坂 廣東名菜 龍公亭』の詳しいお店情報は
コチラ
【取材を終えて】
「自分は“神楽坂の達人”じゃないと思いますよ…」と話す飯田さんは、とてもニュートラルに神楽坂と向き合っているように感じました。「創業120年の店」という看板にとらわれず、でも時には迷いながらも、まっすぐに突き進んでいこうという姿に「龍」の姿を垣間見たような気がします。空に駆け昇る龍がごとく、神楽坂という限られたフィールドにとらわれないからこそ、一番神楽坂らしい魅力を持った「神楽坂の達人」になること、そして一層のご活躍を期待しています。
しんじゅくノート区民スタッフ:キクチエリコ
※掲載写真は、中河原暉朗さんのご協力によるものです。