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新宿人御用達 名店・名品

〔高田馬場〕御菓子司 青柳

十万馬力の(!?)「くりまんアトム」で街を活性化。和菓子の文化を現代に伝える

2013/01/25

創業87年に和菓子の老舗「青柳」から暖簾分けした店

早稲田通りは昭和6年(1931)に開通。<br>当時、店の多くは早稲田通りの開通に合わせて<br>いっせいに店舗を改装したそうです。
早稲田通りは昭和6年(1931)に開通。
当時、店の多くは早稲田通りの開通に合わせて
いっせいに店舗を改装したそうです。
手塚治虫氏の漫画『鉄腕アトム』のテーマ曲が駅のホームに電車の発車メロディーとして流れる街「高田馬場」。今回はこの地で大正14年(1925)創業の「御菓子司 青柳」さんをご紹介します。

御菓子司 青柳は現社長の飯田幹夫さんが2代目。いまお店を取り仕切っているのは3代目の息子の修一郎さんです。店名は明治時代から銀座、三田、青山にあった和菓子の老舗「青柳」から暖簾分けしたことに由来しています。

「青柳は明治から昭和にかけて、多く暖簾分けしました。終戦直後の物資不足の際には、材料の仕入れや包装紙の印刷などを共同で行うために『青柳のれん会』をつくり、青柳の名をもって入会した店は都内で48軒ありました」と社長の飯田さん。

現在、和菓子店はどこも後継者不足が悩み。
「青柳のれん会の会員店は14軒に減りました。この高田馬場にも和菓子店は10数軒ありましたが、いまでは2軒です」
2代目飯田幹夫さんと3代目修一郎さん。<br>「和菓子は生きもの。できるだけ早く<br>食べていただけるとよりおいしいです」
2代目飯田幹夫さんと3代目修一郎さん。
「和菓子は生きもの。できるだけ早く
食べていただけるとよりおいしいです」
『鉄腕アトム』がお客様をお出迎え。
『鉄腕アトム』がお客様をお出迎え。
御菓子司 青柳
■住所:169-0075 新宿区高田馬場4-13-12
■アクセス:JR高田馬場駅より徒歩3分
■TEL:03-3371-8951
■営業時間:9:30~22:00(土曜は~19:00)
■定休日:日曜

日本人の生活に密接した和菓子の伝統を守っていきたい

すっきりとした雰囲気の店内。<br>ショーケースの中には<br>常時約30種類のお菓子が並ぶ。
すっきりとした雰囲気の店内。
ショーケースの中には
常時約30種類のお菓子が並ぶ。
「和菓子は本来、子どもの誕生、節句、七五三、成人式、結婚式とお祝いごとに欠かせない、日本人の人生の歩みに密接したものです。例えば、結婚式では“お祝いを重ねる”といって引き物を2つ出す風習があり、お膳にお赤飯や引き菓子が添えられます」

和菓子は日本の四季とのつながりも強く、桜餅、草餅、柏餅、水羊羹、おはぎなどを食べれば、それぞれの季節の訪れを感じます。「季節もののお菓子を1年中並べる店があるのは残念なことですね」

「機械で大量生産される和菓子もちょっと残念に思います。例えば、柏餅は5月の節句のお菓子ですから、もともとは兜の形をしているものです。それが機械で作った柏餅は丸いでしょ。和菓子の伝統が忘れられてきているんですよね」

社長の飯田さんは先代から教わった和菓子のしきたりや手法を守っていきたいと考えています。そこで、この日本のよき伝統文化を知ってもらおうと、地元中学校の生徒の職場体験授業を受け入れ、和菓子について解説しています。
季節感を大切にした生菓子。<br>写真は涼しげな夏のもの。
季節感を大切にした生菓子。
写真は涼しげな夏のもの。
種類に富んだオリジナルの焼き菓子。<br>こだわりの素材はほとんどが<br>昔ながらの米、麦、豆などの穀物。
種類に富んだオリジナルの焼き菓子。
こだわりの素材はほとんどが
昔ながらの米、麦、豆などの穀物。

地域に根ざしてともに歩んできた高田馬場西商店街の移り変わり

地元のお祭りのお供えものの注文も入る。<br>職人歴47年の落合孝雄さんが1つ1つ<br>手作業でテンポよく作り上げていく。
地元のお祭りのお供えものの注文も入る。
職人歴47年の落合孝雄さんが1つ1つ
手作業でテンポよく作り上げていく。
長年にわたる商いで地元のお客様が多く、地域とのつながりが強い青柳。毎年12月には地元をはじめ新宿区内10数ヶ所の小学校、幼稚園、保育園、商店街をまわり、餅つきをしています。子どもたちや地元の人々の喜ぶ顔を見られることが何よりも嬉しいと社長の飯田さんは言います。

「以前、高田馬場にはシチズン時計の本社があり、従業員約4,000人が早稲田通りを往復していました。そのおかげで高田馬場西商店街はずいぶん潤い、シチズン様様だったんですよ(笑)。うちでは社内の売店にお菓子を納品していて、節句には柏餅の注文が入る。その数が5,000とか8,000個。納品日の前日の18時から夜中の3時ぐらいまでかかって作っていましたね」

昭和30年代後半にシチズン時計が移転。しかし、高田馬場西商店街はその後も勢いを保ち、昭和50年代半ばから60年代にビル化。しかし、バブルがはじけて世の中が厳しい経済状況に陥ると、商売を継がずにビル賃貸業に転業する店が続出。商店街は元気がなくなっていきました。
青柳のれん会の看板商品は栗まんじゅう。<br>こちらの店でも「大栗まんじゅう」が名物。
青柳のれん会の看板商品は栗まんじゅう。
こちらの店でも「大栗まんじゅう」が名物。
初代発案で87年間変わらない味の<br>「宇治の里」。こしあんに求肥を巻き、<br>抹茶の真挽粉をまぶした逸品。
初代発案で87年間変わらない味の
「宇治の里」。こしあんに求肥を巻き、
抹茶の真挽粉をまぶした逸品。

街おこしによって誕生した「くりまんアトム」が人気に

細かく切った栗と栗あんが入った<br>「くりまんアトム」。<br>国産小豆のこしあんが入った<br>ウランちゃんも新登場。
細かく切った栗と栗あんが入った
「くりまんアトム」。
国産小豆のこしあんが入った
ウランちゃんも新登場。
平成6年(1994)、高田馬場西商店街は地域の活性化をめざして街おこしを計画。『鉄腕アトム』が高田馬場にある科学省で天馬博士によって作られたこと、手塚プロダクションが高田馬場にあり、手塚氏が和菓子をよく買いに来ていたことがご縁となり、理事長をしていた飯田幹夫さんが手塚プロダクションにキャラクターを使わせてもらえないかと相談したことから、さまざまな取り組みが始まりました。

そのころ、高田馬場駅の周辺は放置自転車であふれ、雑然としていました。そこで、新宿区や鉄道会社とも話し合いを繰り返し、駅ガード下に手塚キャラクターの壁画を制作し、商店街の歩道や街灯を整備。高田馬場駅や高田馬場西商店街がきれいに生まれ変わったのです。
他にも街おこしの一環として新宿区内では<br>新宿区商店会連合会が開発した「十万馬力新宿サイダー」も発売中。
他にも街おこしの一環として新宿区内では
新宿区商店会連合会が開発した「十万馬力新宿サイダー」も発売中。
また、アトムの誕生日である2003年4月7日の式典に合わせて、青柳では「くりまんアトム」を作成。手作りのため、最初はアトムの顔が「猫みたい」と言われることもありましたが、改良を重ね、まんじゅうはたちまち人気となり、いまではホームページの通販によって全国から注文がくるようになりました。
地域とともに歩む高田馬場「御菓子司 青柳」。「くりまんアトム」のほか、さまざまな思いのこもった和菓子をぜひ一度楽しんでみてはいかがでしょうか。
※取材時の情報です。変更となっている場合もございます、ご了承ください。