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神楽坂のツボ

歴女も喜ぶ神楽坂(前編)

牛込城跡周辺

2011/05/23

わらだな横町入り口。
わらだな横町入り口。
飯田橋駅から神楽坂に向かう人は、橋のたもとの牛込御門跡に江戸城の面影を見る方も多いでしょう。ところが、神楽坂の中に、中世の頃に築かれたお城があったそうなんです。そこで、本日は江戸を遡り、さらに古の時代へとタイムスリップ!

スタート地点は、神楽坂通りに面したレディースファッションの「ISSA」と、炭火串焼きの「本家 鮒忠」の間の「わらだな横町」。昔、わらを売る店(たな)が多かったことから、そう呼ばれるようになったとか。今は八百屋さんや小粋な居酒屋が並んでいます。
どんどん急坂になります。ずっと先に自転車を降りて上っている方が見えました。
どんどん急坂になります。ずっと先に自転車を降りて上っている方が見えました。
ノスタルジックな看板がかわいい。
ノスタルジックな看板がかわいい。
道はどんどん、急坂へ。突き当たり、ぐいっと右へ回り込んだ辺りから、地蔵坂へ変わります。すぐ先の光照寺の子安地蔵が名前の由来だそうですが、アラフォーの腰にはなかなか厳しい坂道です。そんな通行人の気持ちを見透かしたかのように、カーブに面してトリートメントサロンがあります。看板が足形だし、ちらしを見ると、フットマッサージもやっているらしいです。ぜひ、お願いしたいです。
スリップ止めがある地蔵坂。
スリップ止めがある地蔵坂。
香ばしそうな「神楽坂煎餅」。お店の方に手焼きと伺いました。
香ばしそうな「神楽坂煎餅」。お店の方に手焼きと伺いました。
サロンの表には、古風な吊り灯りと看板が掛かっていました。「黄金」と「碧青翠」の文字は読めましたが、意味はまったくわかりません。なんだか、中世に近付いてきた気がします。そして、その隣には、おおっ、城郭めいた民家が! さらにそのお隣には、なぜか南欧の城を思わせるお宅が出現。めくるめくストリートです。向かいには煎餅屋さんがあり、鼻孔からも旅人を撹乱します。
トリートメントサロン「プラタノ」のわかりやすい看板。
トリートメントサロン「プラタノ」のわかりやすい看板。
お店の建物には古風な吊り灯りと看板が。
お店の建物には古風な吊り灯りと看板が。
日本の城。
日本の城。
スペインかイタリア辺りの城。
スペインかイタリア辺りの城。
そして、いよいよ見えてきたのが、本丸の日本出版クラブ会館です。入り口の説明板によれば、ここと向かいの光照寺の一帯が領主牛込氏の居城だったとか。牛込氏が関東に入国した徳川家康に帰順した後、廃城となったそうです。今は閑静な住宅街ですが、急坂を登ってきて、この辺りがいかに高台にあるかを思い知りました。建物がなかった昔は、さぞ見晴しがよく、敵に備えることができたでしょう。
城跡は享保16年の大火で火除地として召し上げられた後、幕府が新暦調御用所(天文屋敷)を設けたとか。説明板に描かれた江戸時代の測量台を見ると、いかにも城らしい地形をしています。
城跡は享保16年の大火で火除地として召し上げられた後、幕府が新暦調御用所(天文屋敷)を設けたとか。説明板に描かれた江戸時代の測量台を見ると、いかにも城らしい地形をしています。
お城っぽい石垣。
お城っぽい石垣。
日本出版クラブ会館。
日本出版クラブ会館。
会館の右脇の建物のドアには、人類最古の紙・パピルスのヒエログリフが刻印されていて、エジプト気分も味わうことができました。さて次は、向かいの光照寺へいざいざ~。

説明板のそばには樹齢250年の銀杏の木も。幹の裂け目は戦災による傷跡。
説明板のそばには樹齢250年の銀杏の木も。幹の裂け目は戦災による傷跡。
ヒエログリフが人類の知性を感じさせます。
ヒエログリフが人類の知性を感じさせます。