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神楽坂の達人

「かぐらむら」編集・発行人/長岡 弘志さん

神楽坂の今をイキイキと伝えるタウン情報紙「かぐらむら」

2011/07/11

「神楽坂を365日楽しみたい」と思ったら、タウン誌『かぐらむら』を持って出かけませんか?
粋なまち神楽坂の歳時記(催事)、伝統文化、現代アート、音楽、お稽古、エトセトラ。
神楽坂のまちと人を結び、「まちの時間割」がわかります。
人々を惹き付ける神楽坂の魅力を、「かぐらむら」の編集・発行人である長岡弘志さんにたずねました。

神楽坂通りのケヤキ並木と学生時代の思い出に導かれて

事務所を神楽坂に構えようと思ったきっかけを教えて下さい。

神楽坂通りのケヤキ並木。<br>見ていると心が和みます。
神楽坂通りのケヤキ並木。
見ていると心が和みます。
今から12年前に神楽坂に引っ越してきました。私が代表をつとめているサザンカンパニーは、企画・編集や広告制作などをしている会社です。神楽坂の前は、東池袋のサンシャインシティに近い所に事務所がありましたが、環境を変えたいなと思い、様々な所を見に行きました。

そんな中、5月から6月の新緑の季節、飯田橋に降りたって、神楽坂下から神楽坂通りを見た時、ケヤキ並木が、緑のトンネルになっていて、空と緑のコントラストが美しく、神楽坂に事務所を引っ越そうと思いました。

早稲田の学生の頃から、時々お世話になったこの街で、新しい一歩を踏み出そうと思ったんです。友人が矢来町に住んでいましたから、そこから神楽坂に飲みに繰り出していました。坂の途中の「万平」というお店には、とても粋なおばあちゃんがいたんです。

そのおばあちゃん、坪内逍遥先生が早稲田大学を退官する時の講義を、学生でもないのに聴きにいったような方で、学生時代の我々のことも温かく見守り、話相手になってくれました。

また、文学青年でしたので、よく小説にも出ていた神楽坂の料亭に、仲間と行ってみようということになり、大恥をかいた思い出もあります(笑)。

料亭でのエピソード教えて下さい。また、社会に出る前の神楽坂での経験は、今につながっていますか?

ギンレイホールは、1974年にスタートした名画座。日本・アメリカをはじめ、アジアやヨーロッパの珠玉の作品が鑑賞出来ます。
ギンレイホールは、1974年にスタートした名画座。日本・アメリカをはじめ、アジアやヨーロッパの珠玉の作品が鑑賞出来ます。
矢来町の友人が予約をしてくれて、5人の友人で行ったのですが、芸者さんが三味線持って出て来ましたら、その場の雰囲気にのまれて話ができなくて、ひや汗をいっぱいかきました(笑)。

神楽坂のまちは、学生をも温かく迎えてくれて、いくつもの情にふれる思い出があります。その後、名画座のギンレイホールの広報的な仕事もしていたので、神楽坂に自然に導かれた気がします。
編集・広告制作をしているサザンカンパニーの代表。今年で10年目を迎えた神楽坂のタウン誌「かぐらむら」編集・発行人の長岡弘志さん(「かぐらむら」の編集会議にて)。
編集・広告制作をしているサザンカンパニーの代表。今年で10年目を迎えた神楽坂のタウン誌「かぐらむら」編集・発行人の長岡弘志さん(「かぐらむら」の編集会議にて)。
神楽坂に事務所を引っ越して来たばかりの頃、先程の「万平」に一度訪ねた事があるんです。残念ながらおばあちゃんは亡くなっていましたが、息子さんと娘さんがお店を継いでいて、「うちの母を知っているんですか」なんて言いながら、写真家の荒木経惟氏の写真集を見せてくれました。

神楽坂には、多くの文化人が住んでいるのですが、荒木氏もしばらく神楽坂に近い事務所にいて、多くの写真を撮っているんです。

その写真集に、「万平」のおばあちゃんと荒木氏が仲良く並んで写真に収まっているんです。その写真を見ながら、神楽坂の人情から創られた物語があり、それらが文化として脈々とつながっているのだと感激しました。

情報が流れれば、まちは動き出す

神楽坂発信のタウン誌「かぐらむら」を出そうと思ったきっかけを教えて下さい。

こちらに来てから2、3年間は、編集や広告制作の本業に忙しくしていました。その当時神楽坂には、立壁正子さんという女性が編集長をしていた「ここは牛込、神楽坂」という季刊のタウン誌がありました。ところが残念なことに、立壁さんのこの雑誌は健康上の理由で、18号で廃刊となってしまったんです。

1年ほど、神楽坂からタウン誌が消え、情報がまちに流通しなくなってしまったんです。そこで、「ここは牛込、神楽坂」に代わる冊子、タウン誌を出そうという機運がおこり、その会合に呼ばれたのがきっかけでした。

有志の方々と相談されてタウン誌「かぐらむら」を出そうということになったのですか?

いいえ。歴史や文化の蓄積のある神楽坂では、様々なイベントが行われています。タウン誌が無くなってしまったことで、住んでいる方はもちろん、来街者やまちに来る方に情報の伝わる手段がなくなりました。それではもったいないと言う気持ちと、情報が流れなければ「まち」が活性化しないと言う気持ちが強くなり、資金的なことも考えずに、自分から手をあげて発行してしまいました(笑)。

長岡さんが、「かぐらむら」を発行される時に大切にされていることはなんでしょうか?

ジャバラ形式の神楽坂のタウン誌「かぐらむら」。現在の表紙は、友禅工房 染小路 多田昌子さんが担当。
ジャバラ形式の神楽坂のタウン誌「かぐらむら」。現在の表紙は、友禅工房 染小路 多田昌子さんが担当。
まず発行日の期日を守り、定期的に出していくことを心掛けています。「かぐらむら」は、“まち”のどこでも手に入り、誰もが非常に見やすく親しみやすいものを心がけています。

偶数月の1日に発行しているのですが、神楽坂の本屋「文悠」さんのお客様には、発行日を心待ちにして下さっている方がいらしたり、またある喫茶店では、コーヒーを飲みながら「かぐらむら」の情報を楽しみに足を運んで下さる方もいらっしゃいます。

1万4千部出していますが、1週間から2週間の間にほとんどなくなってしまうんですよ。

たくさんのファンがいらっしゃるのですね。創刊されてから、今年で10年目、56号を迎えた「かぐらむら」ですが、神楽坂のまちでは、欠かせない存在ですね。

そう思っていただけると嬉しいですね。私が「かぐらむら」を発行する時にとても大事にしていることは、神楽坂の「今」なんです。

先程お話した「ここは牛込、神楽坂」は、歴史や文化を深くは掘り下げ、今まで知られていなかった埋没した文化などに光を当てる神楽坂再発見に繋がったほんとうに素晴らしいタウン誌でした。また「かぐらむら」が創刊されてから、1年ほどして出版された「神楽坂まちの手帳」(現在は休刊)も歴史文化や神楽坂のイベントなどを紹介する総合タウン誌として、とても魅力あるものでした。どちらかといえば、この両誌は、過去から今に流れる時間を大切にしたものでした。

過去から今の神楽坂を見つめ直し、まちの良さを感じるのも素敵ですが、今の神楽坂にある素晴らしいコミュニティを応援したいと思ったのです。

情報のベースを、“まちの時間割”とされた理由は何でしょうか。

「かぐらむら」には、神楽坂で行われている基本的な催事から始まって、能、落語などの伝統的なものから、現代的なダンス・演劇や美術・工芸の展示まで、神楽坂のイベントを幅広く網羅しています。また神楽坂には、花柳界もあり、伝統芸能の人間国宝やお師匠さんもいますし、お稽古や発表会の情報も紹介したいですね。

毎号、約30本のイベントを厳選し掲載しています。様々なイベントがバランス良くあり、それらの豊かな文化を自在に享受できるまちは、東京の中でも他にはないと思います。それも歩いて5分から10分位で行ける距離の範囲にあるのです。

誰もが参加出来て、主催者の企画内容が工夫されていたり、ライブや演劇、アートなど表現者としての志(こころざし)がある姿に出会ったりすると、応援したくなります。また毎号、神楽坂ならではの特集を組んでいます。

「かぐらむら」は、神楽坂のまちと人々をつなぐ掲示板的な役割も果たされているのですね。

「かぐらむら」に並ぶ神楽坂の2カ月分のスケジュール。“まちの時間割”でまちの時間を共有。ウェブのURLは、<br>http://www.kaguramura.jp/
「かぐらむら」に並ぶ神楽坂の2カ月分のスケジュール。“まちの時間割”でまちの時間を共有。ウェブのURLは、
http://www.kaguramura.jp/
掲載された方からは感謝され、人と人との繋がりから信頼関係ができています。神楽坂は路地や横丁が神楽坂通りに通じていて、まちのあちこちで立ち話が多いですね。

その路地や坂道の立ち話のように、一つひとつのイベント情報をまとめたらいいなと思っています。0号からずっと同じスタイルで写真1点、内容120文字でまとめています。

そして立ち話としての話題に、例えば初詣に行こうと思った時、その神社の宮司さんとか、節分が行われるお寺の住職さんがどんな人かがわかる様な形にして写真を載せています。

神楽坂の情緒あふれるまち並みに様々な文化、そして人情味あふれる人々、なぜ人はこのまちに魅かれるのか、「かぐらむら」を拝見すると、わかります。

1年を通して、節分や豆まきに参加したり、夏祭りにほおずきを買ったり、阿波踊りを見たり、そして締めくくりにはお寺で除夜の鐘を打つなど季節感のある生活。芸術的なものにふれたりすることができる暮らしは、とても豊かな生活ですよね。仕事とは別に自分の生活の中で豊かな時を過ごすスケジュールがあるのは素敵なことです。

神楽坂は、東京で豊かな生活が楽しめる数少ない「まち」なのです。「かぐらむら」の中から、神楽坂の「まち」が持っている魅力を自然に感じ取ってもらえたら、とてもうれしいですね。
夏の風物詩「神楽坂まつり」。<br>お祭りの前半が「ほおずき市」、後半は、「阿波踊り」の2部構成。
夏の風物詩「神楽坂まつり」。
お祭りの前半が「ほおずき市」、後半は、「阿波踊り」の2部構成。
「神楽坂まつり」は、ゆかたで参加してほしい。「ほおずき市」の鮮やかな朱色の実を付けたほおずきが夏らしい。
「神楽坂まつり」は、ゆかたで参加してほしい。「ほおずき市」の鮮やかな朱色の実を付けたほおずきが夏らしい。

神楽坂らしさあふれる粋な「ぽちぶくろ」やお江戸遊びの「投扇興」

長岡さんは、神楽坂を活性化させるために、「かぐらむら」の他にも、地域活動をなさっていると伺いましたが。

「ぽちぶくろ」は心を込め、お世話になった方にさりげなく渡したい。
「ぽちぶくろ」は心を込め、お世話になった方にさりげなく渡したい。
投扇興の会のほかに、神楽坂発信の手土産「ぽちぶくろ」を作ったりもしています。

「ぽちぶくろ」は江戸時代から続くもので、思い思いの意匠の小袋に心付けを入れて渡す袋です。文房具や香を扱っている「椿屋」さんから、「神楽坂オリジナルのお土産がほしい」という相談がありまして、神楽坂らしいお土産をと考えたのが、花柳界とも縁の深い「ぽちぶくろ」でした。

イラストレーターの、よしだみよこさんが描いた、伝統の花街らしさや、黒猫をモチーフにしたシリーズが好評をいただきました。今では、10軒ほどのお店がお土産として置いて下さっています。

お土産としての人気が出ましたが、学生さんや帰省で故郷に帰られる方が、神楽坂のお土産として買われているとのことを聞いてうれしく思っています。

江戸遊びにも詳しいそうですが?

和の遊び「投扇興」。扇子が舞う姿は優雅。長岡さんの雅号は、砂山(サザン)です。
和の遊び「投扇興」。扇子が舞う姿は優雅。長岡さんの雅号は、砂山(サザン)です。
決して詳しい訳ではありません。商店街が、日本の和の遊びのキャンペーンをした時、お手伝いする機会がありました。それがいつのまにか、「投扇興」の事務局をする様になりました(笑)。

「投扇興」とはお座敷遊びの一つで、台の上にある蝶と呼ばれる的をめがけて扇子を投げます。そして扇子と蝶の落ち方を源氏物語の各54帖にたとえて得点を決めます。

年に1度、神楽坂下のうなぎの名店「志満金」で行なわれています。このイベントは開催されるたびに大盛況です。着物姿で来られる方も多く、華やいだ雰囲気の中で行われて、とても楽しいですよ。

「かぐらむら」の挑戦と、「まち」とのキャチボール

「かぐらむら」の編集・発行人、そして地域への貢献と、多岐にわたって活躍されていますが、10年目を迎える「かぐらむら」60号への思いはいかがですか。

「かぐらむら」が続けてこられたのは、まちとキャチボールができたからだと思います。情報を送ってくださる皆さん、「かぐらむら」に共感し協賛してくださる商店街の皆さん、多くの方の気持ちと繋がってこられたおかげです。

コミュニティが機能しなければ、タウン誌も機能しないと感じています。「かぐらむら」という地域限定の情報誌が「まち」の中で、情報インフラとして定着しつつある今、継続し出し続けるのが、私の責任だと思っています。

10年間続けてきたからこそのお話を伺いましたが、今後「かぐらむら」から発信していきたいことはありますか。

今とても気になっていることがあります。東北大震災がありましたが、東北の「まち」にも「かぐらむら」同様、いくつものタウン誌があります。その中の一つ、「わがまち みやこ」というタウン誌が終刊号を発行しました。

最後は「震災特集号」でした。いざという時に、情報でもって人の役に立ちたい、地域を励ます声になりたい、というタウン誌の願いが「震災特集」で終刊を迎えてしまうのは、同じタウン誌を発行しているものとしては、つらいものを感じます。

それと同時に何か応援したい、支援したいと考えています。まだ頭の中にしかないのですが、神楽坂の「まち」で、「タウン誌カフェ」を開催しようと思っています。東北のタウン誌の発行人の方々と交流をし、タウン誌の側から復興のお手伝いが少しでもできたらいいなと思っています。

「かぐらむら」編集長が語る神楽坂の初級・中級・上級編。

さてここで、これから神楽坂に遊びに来られる方にお薦めの神楽坂を教えていただいてもよろしいでしょうか?

毘沙門天善國寺では、節分祭に節分豆まき式が行われます。ご祈祷の後、裃姿で豆まきに参加できます。
毘沙門天善國寺では、節分祭に節分豆まき式が行われます。ご祈祷の後、裃姿で豆まきに参加できます。
いろんなまちの楽しみ方があるかと思いますが、まず神楽坂初級入門編としておすすめしたいのは、2月の節分に毘沙門天善國寺の「節分豆まき式」に裃を着て、豆まきをすること。そして4月には、神楽坂の芸者衆が、年に1回、日頃の研鑽を積んできた成果を披露する会「神楽坂をどり」を見に行くこと、などがおすすめです。
神楽坂と言えば、花柳界。芸者衆の粋で艶がある「神楽坂をどり」にうっとり。
神楽坂と言えば、花柳界。芸者衆の粋で艶がある「神楽坂をどり」にうっとり。
中級編は、神楽坂まつりで、「かぐら連」に参加して阿波踊りを踊るのはいかがでしょうか。そして神楽坂の“まちの文化祭”である「まち飛びフェスタ」にボランティアか、または自分の企画で参加することなどをおすすめします。

今年で40回を迎える「阿波踊り」。神楽坂通りを連が繰り出し、軽快なお囃子とともに神楽坂は熱い興奮に包まれます

最後に上級編は、今後の神楽坂のまちづくりの会などに参加するのはいかがでしょう。まちの人たちと膝つき合わせて、一緒になって話し合いの輪に入ってくれるといいですね。でも、あくまでも、まちの楽しみ方は人それぞれ。行きつけのお店を一軒持つだけでも、神楽坂がぐっと身近になると思いますね。

取材を終えて

神楽坂の情報を知るだけでなく、神楽坂の「まち」の素晴らしさを教えてくれる「かぐらむら」。「かぐらむら」を小脇に抱えて、私も早く神楽坂通となり、自分の生活の中で豊かな時を過ごせる毎日を送りたいと思いました。
しんじゅくノート区民スタッフ:山本はるの