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神楽坂の達人

WOODMAN'S CAKE/桜井隆史さん

2010/11/17

神楽坂でお店を営んでいる方や神楽坂の在住者のお話を伺いながら、神楽坂の魅力をお伝えする「神楽坂の達人」。

第8回目は東西線神楽坂駅から徒歩5分、神楽坂通りからひとつ入った路地にあるケーキショップ、WOODMAN'S CAKE(ウッドマンズケーキ)の桜井隆史さんにお話を伺いました。

日本の気候風土に合う和の素材を使った洋菓子

いつ頃、神楽坂にオープンされたんですか?

桜井隆史さん。後はご自慢のスエーデン製の窯です。
桜井隆史さん。後はご自慢のスエーデン製の窯です。
10年ぐらい前になりますね。実は、ここはもともと、私が生まれ育った実家なんです。

最初に店をオープンしたのが阿佐ヶ谷で、神楽坂から通っていたんですが、そこが手狭になって。それで、ガレージの半地下をお店に改築し、阿佐ヶ谷でお菓子を作って、こちらで販売と当時は喫茶も兼ねてやっていました。そんな時に、たまたま、あるメーカーからお茶を使った洋菓子の開発を依頼されて、その仕事が忙しくなったので、神楽坂に絞ることにしたんです。

お茶のお菓子が好評だったんですね。

ええ。最初は抹茶のお菓子だったんですが、当時、洋菓子の素材としての抹茶は、あまり品質がよいものが使われていなかったんです。お茶を使った洋菓子自体、まだ珍しかった。ところが、預けていただいた抹茶は色や香りはもちろん、味もまったく違うもので、「これは面白いな」と思っていいろいろ試作してみると、評判がよくて。それで、この仕事をきっかけに、和の素材を使って、日本人や日本の気候風土に合った洋菓子を作ろう、という方向に切り替えました。

お茶の他、小豆や、今注目の米粉、砂糖では和三盆を使ったりしています。和の素材を使ったオリジナル洋菓子、というのがうちのコンセプトですね。また、そういったお菓子が神楽坂の、和と洋がうまく調和した雰囲気によく合う。神楽坂にはあちこちから大勢の方が観光でいらっしゃるので、神楽坂らしいお菓子は喜ばれます。

いろいろなお菓子がありますが、一番人気は?

抹茶を使った「神楽坂ロール」です。神楽坂の石畳をイメージして作ったお菓子で、スポンジが2色なのは、ロールケーキでは珍しいと思います。季節ごとに楽しんでいただけるように、定番の他、春には刻んだチェリーを混ぜたクリームを入れて、桜の葉の塩漬けでまいた「桜ロール」、秋には栗と抹茶を使った「マロンロール」を作っています。

変わったものでは、最中の皮を使った「神楽坂MONAKA」を今年から始めました。スティックタイプなどいろいろな種類がありますが、春は、桜の香りを付けたチョコレートに刻んだチェリーを混ぜて、桜の花の形をした最中の皮に詰めた「桜MONAKA」を作ったところ、予想以上の売れ行きでした。
神楽坂の焼印を押した「神楽坂ロール」はお土産にぴったり。抹茶クリームと大納言、栗、洋梨、オレンジピールが絶妙なハーモニーを奏でます。
神楽坂の焼印を押した「神楽坂ロール」はお土産にぴったり。抹茶クリームと大納言、栗、洋梨、オレンジピールが絶妙なハーモニーを奏でます。
贈り物にも喜ばれるフィナンシェは、抹茶、煎茶、ショコラ、ダージリン、アーモンド、ゴマの6つの味が楽しめます。
贈り物にも喜ばれるフィナンシェは、抹茶、煎茶、ショコラ、ダージリン、アーモンド、ゴマの6つの味が楽しめます。
秋限定の「紅葉MONAKA」。紅葉の葉の形をした最中の皮に、ガナッシュとマロンペーストを混ぜたクリームを詰め、大粒の渋皮付きマロンを丸ごとひとつ入れました。
秋限定の「紅葉MONAKA」。紅葉の葉の形をした最中の皮に、ガナッシュとマロンペーストを混ぜたクリームを詰め、大粒の渋皮付きマロンを丸ごとひとつ入れました。
取材時はちょうど10月だったため、ハロウィーンのお菓子が並んでいました。
取材時はちょうど10月だったため、ハロウィーンのお菓子が並んでいました。

わあ、美味しそうですね! そういったお菓子は、どんな時に考えつくんですか?

研究熱心な桜井さんのアイディアが光る「抹茶チーズスティック」。こちらも神楽坂の焼印入り。
研究熱心な桜井さんのアイディアが光る「抹茶チーズスティック」。こちらも神楽坂の焼印入り。
和菓子の素材のパンフレットを見たり、和菓子をご進物にいただいたりした時なんかに刺激を受けて、「これをうちらしいお菓子にしたら、どうなるかな?」と考えます。それから、どんな素材が合うのか、組み合わせを考えていきます。元に洋菓子があって、神楽坂というフィルターを通すと、WOODMAN'S CAKEらしいお菓子になっていくんです。

神楽坂土産として愛されるお菓子作りを

桜井さんご本人について伺いたいのですが、男性であってパティシエを目指されたきっかけというのは?

美術系の学校を目指していた時期があるんですが、もともと、ものをつくることが好きだったんです。食べものや料理にも興味があって、コックを希望していたところ、知り合いの洋菓子屋さんが紹介してくれたのが、フランス菓子のクローバーでした。

そこで2年ほど働いて、当時の東急フーズが新しくパンと洋菓子部門のサンジェルマンを立ち上げることになった時に、またこの知り合いに呼んでいただいて、独立するまでずっとそこにいました。会社がちょうど新しい事業に力を入れ始めた時だったので、いろいろと勉強させていただきましたね。

現場で経験を積まれたんですね。そして、いよいよ独立と。

今から26年前、37歳の時です。阿佐ヶ谷店はとっくに閉めてしまったんですが、店の名前が同じなので、阿佐ヶ谷時代のお客さんがいらしてくださることもあるんですよ。
誘われるように、店内へ。
誘われるように、店内へ。
ぬくもりあふれる店内はかわいいお菓子でいっぱい。ガラス越しには厨房でお菓子を作っている様子が見えます。
ぬくもりあふれる店内はかわいいお菓子でいっぱい。ガラス越しには厨房でお菓子を作っている様子が見えます。
ショーケースの中には生菓子も。店内には定番商品と季節の限定商品を合わせ、常時30種類のお菓子があります。
ショーケースの中には生菓子も。店内には定番商品と季節の限定商品を合わせ、常時30種類のお菓子があります。
やさしい笑顔が印象的な桜井さん。お菓子の味にも、ご本人の人柄が出ています。
やさしい笑顔が印象的な桜井さん。お菓子の味にも、ご本人の人柄が出ています。

もともと、料理はお好きだったそうですが、洋菓子作りの魅力とはどんなところですか?

この材料とこの材料を組み合わせたら、こういうお菓子ができる、と新しいものを考えることが面白いです。若いうちは結構、この組み合わせに失敗するんですが、経験を積んでいろいろなデータが自分の中に蓄積されてくると、考えていたものがすぐに作れるようになる。そうなると、すごく楽しいですね。その上、お客さんにお金を出して買っていただいて、「おいしかった」と言ってもらえれば、こんなに嬉しいことはありません。

実は、我々の世界では、毎日の仕事にそれほど難しい技術は必要ないんです。一番大事なことは、自分の中にどれだけのデータを貯め込んでいるか、味覚の記憶です。データがあれば、例えば、このチョコレートにはこんな材料を使ったら、こういうお菓子ができるという答えが出てくる。そのためには、人が作ったお菓子でも、洋菓子には使わないような材料でも、たくさん食べてみないとわからない。そうやって貯えたデータで作ったお菓子が、人から「おいしい」と言ってもらえれば、全部のデータが自分の宝になるわけです。

実際のお菓子作りでは、どんなことを心掛けていますか?

素材の良さを最大限に引き出し、一番美味しいものを作り出す、ということに尽きます。「素材の良さと技のハーモニー」というのが、私のお菓子作りの基本的な考えです。素材の良さを引き出すことこそ、技術だと思っています。

これからの夢を教えてください。

今は観光でいらっしゃるお客さんがメインですが、こういった方たちを大切にしながら、やはり、地元の方に神楽坂のお土産として地方にお持ちいただけるようなお菓子を作っていきたい、というのが一番の願いです。

「神楽坂ロール」は、そういう気持ちを込めて最初に作ったお菓子なんですよ。地元で愛され、お土産として選んでいただけるお菓子を作っていることが本当の老舗だと思うので、そんなお店を目指したいですね。

古くて新しい町、神楽坂

和と洋を合わせたお菓子は神楽坂らしいというお話がありましたが――。

例えば、神楽坂には東京日仏学院があったり、フランス人が多く住んでいますが、昔ながらの下町でもあり、石畳がある花柳界の「和」の雰囲気に、外国文化という「洋」がうまく溶け込んでいる町です。

生まれも育ちも神楽坂という桜井さんにとっては、どんな町ですか?

今は、「神楽坂」というと、特定のイメージがありますが、昔のいわゆる神楽坂というのは、毘沙門天さん周辺の待合や料亭が立ち並ぶ花柳界のことでした。その頃は、料亭の前に客待ちのハイヤーがずらっと止まっていたものです。

それに比べて、この辺りはごく普通の人が住んでいる、地味な地域でした。お寺がたくさんあったんですが、もともと、寺の精進落としに花柳界ができたんです。こっちがお寺で、向こうが繁華街、というしきりがあった。だから、生まれ育った者にしてみると、今でいう「神楽坂」というより、故郷であり、普通の町ですね。

昔はどんな雰囲気だったんですか?

路地ひとつ違うと、まったく別の世界。入ってはいけない、というような雰囲気でした。小学校の友達が花柳界の界隈に住んでいたんですが、遊びに行くと、三味線の音が聞こえてきたり、夕方になると芸者さんが歩いていて、それを2階から眺めていた。まるで『たけくらべ』みたいな、子供の目に大人の世界が垣間見える、そんな町でした。

花柳界は我々が二十歳ぐらいまではにぎやかだったと思いますが、それからだんだん景気が悪くなって、料亭が会社の寮になってしまったり、今では芸者さんの人数もかなり減ったんじゃないでしょうか。それが、ドラマの舞台になったり、雑誌やテレビで取り上げられるようになった頃から、大勢の人が来るようになりました。

花柳界だった辺りにも商店街ができて、観光したり、学生やサラリーマンが呑みに来る場所に変わりました。このお店の周辺も、昔はほとんど人が通らなかったのが、特に土日になると、大勢の観光客がいらっしゃいます。

へえ、随分変わったんですね!

子供時代のものでそのまま残っているのは、毘沙門天さんとその前の石畳の通りぐらいでしょうか。その毘沙門天さんや大通りもきれいになったし、裏道も変わってしまっているので、花柳界全盛の頃の名残はありませんね。

観光客にとっては、どんなところが魅力なんでしょうか?

昔に比べればわずかな場所ですが、まだ古いものの良さが残っていることと、それと新しいものがうまく調和しているところじゃないでしょうか。古いものが、神楽坂のシンボルとしてすごく大切にされています。新しいものも随分できましたが、古いものが、まるきり、新しいものを寄せ付けないのではなく、うまい具合に混ざり合っています。

これから来る人へ、神楽坂の楽しみ方を教えてください。

表通りや裏道を自由に散策していただければ、食事をしたり、買い物をしたりと、面白いお店がいっぱいあります。そんな時に、神楽坂という昔からある町が、外国からきた文化と融合して別の姿に変わっていく様子を見てもらえれば、面白いかもしれませんね。それも、神楽坂の楽しみ方のひとつだと思います。
赤レンガの外観はヨーロッパの街角のお菓子屋さん。
赤レンガの外観はヨーロッパの街角のお菓子屋さん。
お店のマスコットのゴリラ君。今日はハロウィーン用におめかし。
お店のマスコットのゴリラ君。今日はハロウィーン用におめかし。
花咲く店先はレイアウトがきれい。
花咲く店先はレイアウトがきれい。
東西線神楽坂駅・神楽坂口を出て、神楽坂通りを下り、梅花亭のひとつ手前の路地を左に曲がると、「神楽坂ロール」の幟が見えてきます。
東西線神楽坂駅・神楽坂口を出て、神楽坂通りを下り、梅花亭のひとつ手前の路地を左に曲がると、「神楽坂ロール」の幟が見えてきます。

取材を終えて

飾らない口調に滲む、お菓子作りへのなみなみならぬ情熱が印象的だった桜井さん。生粋の神楽坂っ子ならではのお話は、まるで映画の世界のよう。神楽坂に残る石畳や料亭の塀が、なんだかちょっぴり、色鮮やかに感じられるようになりました。そんな桜井さんの作るお菓子は、身体の中にすんなり溶けていくような、軽やかな甘さが絶妙。「和と洋の融合」という言葉が、実感できた次第です。桜井さん、ありがとうございました!

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