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神楽坂の達人

手打ちうどん・そば 志な乃

2013/10/02

「手打ちうどん、そば」それは最近よく目にする看板。しかし、今回取材した「志な乃」の手打ち麺もそのひとくくりに入れてよいのだろうか。極上の究極の麺のコシ、弾力は他ではけして味わえない食感。職人の手打ち、食材、つゆへのこだわりとは一体なんなのだろうか。職人のこだわりについてを中心に、店主にお話をうかがった。

志な乃の誕生

まず、志な乃のはじまりというのをお聞きしてよろしいでしょうか。
そうですね。もう41年が過ぎましたかね。昭和46年にここができたから。それからですね。えっと~何年になるかな(笑)

―代々お店を受け継がれているんですか?
いや違いますね。ここにお店を独立したという形。

―そうなんですね。じゃあ、最初は違うところで?
最初はね、この志な乃っていうお店は今現在もあるんですけど横浜のほうにあるんです。関内にあるんですね。そこが志な乃のスタートですよね。そこの最初の打ちそばが私ということですね

―今もそのお店はあるんですか?
あります。代は変わっていますけどね。

―なんで独立してやろうと思われたんですか?
うん。やっぱり、こういう仕事はね年齢的にも最後まで働けるという仕事じゃないから、自分でなんかやらなきゃダメでしょ。だから、そういう理由で独立はしたんですよね。

15歳で上京

―ご出身はどちらですか?
栃木です。

―料理人になるために上京されたんですか?
そうね。要するに食いっぱぐれがない。サラリーマンには向いてなかったしね。簡単な話だとそういうことになるよね。15の時かな。

―その横浜のお店との出会いっていうのは何だったんですか?
うん。もともとは横浜のお店が最初じゃなかったんだよね。東京の港区で豚カツとかカレーとかをやってたから。4.5年やったのかな。そのお店をやめて横浜のお店に力を入れるっていうことでね。まさか、そば屋になるとは思わなかったけど。(笑)

―では、横浜のご主人が「これからはそばの時代だ」って言わなかったら今はなかったかもしれませんね。
そうですね。豚カツ屋だな。きっと。(笑)

職人のこだわり ~その1 手打ち~

―こちらのお店の手打ちそばとうどんを食べたんですけど、すごいモチモチしていて、他のお店と比べものにならないぐらいの弾力を感じたんですけど、どういう風にしたらそんなうどんとおそばができるんですか?
要するに、うどんもおそばもまずは手打ちでやってるということですよね。あの~、うどんはこねてうどんになるまでだいたい半日以上かかるんですね。こねて、踏んで、寝かせて、伸ばして、そして切るっていう段階があるんですよ。おそばはまた別なんですけどね。そばは寝かせないのでこねてすぐに打ちはじめるっていう。

―それは、前日に次の日の分を打つんですか?
じゃないですね。朝も早起きしてその日の分のを作ってる。朝の5時15分ぐらいには店に入ってはじめますね。そっから、こねて、寝かせて、打ってと。
みんなは朝の8時半前後からくるんだけどね。

―1日のおそばとかを作るのにどれくらいの時間がかかるんですか?
うーん。始まってから朝の10時ぐらいまでかな。4時間5時間ぐらいはかかるね。
まあ一応は大変なのかな(笑)手打ちはね。機械でやったらもっと楽なんだけどね。機械はやったことないからわかんないからね。

―どうしてそこまで手打ちっていうのにこだわるんですか?
これは、最初のスタートがそうだったからね。
最初の横浜の志な乃のスタートが手打ちだったからね。

―機械に頼るっていうのは考えたことないんですか?
うーん。現在のところはそれは考えないね。うん。まだ楽しいし。手打ちの作業がね。

―どういった時にその楽しさとかを感じますか?
うん。全部ですよ。だから…こねてる時もそうだし、伸ばしてる時もそうだし、切る工程もみんなそう。こねてる時もやわらかくなっちゃう時もあるし、固くなっちゃう時もあるし。でもだいたい同じようにやらなきゃ、同じものはできていかないじゃないですか。その点だよね。楽しいよね。

―いつも満足した麺ができるんですか?
温度があがるとね、どうしても粉の質が変わってくるでしょ。これから11月から5月までは最高な状態でやれる。
でもまあ夏場の状態がよくないってわけじゃないけどね。年内のものは全部年内で使い切るっていうそば粉の作り方だから。
そば粉もねうちの奥さんの実家のほうでそば粉を全部栽培してもらって、石臼でひいてもらって。2週間に一度必ず運んでもらってるんですよ。で、足らない場合はまた送ってもらって。石臼でちゃんとひいてくれるからね、国内のものって完全にわかるでしょ。弟にやってもらっているからね。

職人のこだわり ~その2 国産への追求~

―国産へのこだわりも?
まあ、要するに、それがひとつこだわりだからね。でも最初は長野のほうから頂いていたの。そうねー。30年ぐらい前になるのかな。

―じゃあ、たまたま奥さんの実家がそば粉を栽培されていたんですか?
じゃなくて、もともとは農家で養豚業なんかをやってたからね。で、その絶対に国内ものでやりたいっていうのを言ったらね、親父さんが「じゃあ俺がやろう」ってやってくれて。
国産のものだよね。やっぱり輸入物と国産だったら差ができちゃうからね。間違いのないものをつかいたいっていう思いがあってね。でも当時はなかなか難しかったんだけどね。

―以前ここでゴボウ天うどんをいただいたんですけど、その野菜も国産ですか?
もちろんね。だしをとるかつお節でもなんでも。昆布もね

―それらはどこから仕入れているんですか?
かつお節はね、まるかつっていう昔からそこのかつお節専門店からもらっているんですけどね。こんぶしをまるのままもらって削って使う。削り節じゃなくて本物のね。削ってあるものだとどうしても香りも味も飛んじゃうからね。

職人のこだわり ~その3 従来では独自のおつゆ~

―おつゆもいろいろ試行錯誤していまのもになったんですか
おつゆが一番難しかったよね。在来の関東風のぽってりとした感じの濃い色のね。あれからは抜け出したかったから。

―そうなんですね。こってりは嫌だったんですか
嫌だってわけじゃないんだけどね。要するに独自のものを作りだす。横浜のお店ができた時は、みんなが指示するわけじゃないから。そばの作り方も打ち方でも。だから相当試行錯誤したよね。作っちゃあだめ。作っちゃあだめ。

―試行錯誤した期間はどのくらいですか
うーん。2カ月ぐらいじゃないかな。長野の戸隠あたりを回って、そばの打ち方なんか見よう見まねでやって、横浜に戻ってそれを実践して練習したんだよね。打ち方なんかを

職人のこだわり ~その4 道具~

―何か職人としてのこだわりの道具など、どうしてもこの道具じゃなきゃとか長年ずっと使っているものとかありますか?
うん。でも、どうしてもダメになるじゃないですか。まあでも、そば切り包丁は40年の中でまだ2つかな。まな板はしょっちゅうダメになっちゃうけどね。包丁と麺棒ね。麺棒はずっと開店当時から同じの使ってるね。

―包丁っていつも同じところのお店で買ってるんですか?
あのー、同じところじゃないんだけどね。何度かかえるから。

―どういうので決めるんですか?持った感じとかですか?
そうね。そうそう。持った感じね。やっぱり持った感じっていうのが大事だからね。やや重めのやつでね。

―重いと疲れないんですか?
疲れない疲れない。テンポ良くきる。どす、どす、どす、って感じだと疲れちゃうからね。トン、トン、トン、トンって切ると疲れはしないんだよね。力を入れると疲れちゃうんだろうけどね。

―器とかもこだわりがあるんですか?
益子焼きですね。地元だから。益子育ちでしょ?だから全部の器は益子焼きです。

職人のこだわり ~その5 何よりもお客様の満足感

―ここのおそばもうどんも量が多めっていうことで有名ですよね?
うん。最初に在来のおそばのお店って量が少ないじゃないですか。2つぐらい食べないとお腹いっぱいにならないじゃないですか。だから。1食でお腹いっぱいになる食事っていうことを考えてやったのね。

―開店当初からうどんもおそばも両方楽しめる合盛りを?
そうね。おそばを食べたい人はおそばを頼むでしょ。うどんを食べたい人はうどんを頼むでしょ。どっちも食べたいって人が合盛りを頼む。だから、お客さんが温かいのがいいっていったらなんでも作りますよね。お客さんが食べたいのを。メニューには書いてないですけど。

―じゃあ温かいそばとうどんの合盛りもあるんですか?
うん。注文を受けることあるよ。

―人気メニューっていうのは、合盛りが1番ですか?
夏場に限っては合い盛りが1番。冬はけんちんとか五色とかの温かいやつが出ますけどね。

そして職人の人柄

―これまでで職人としてやっていくうえ心掛けていることってありますか。
うーん。それは難しいね。心掛けているっていうよりも、健康でいるっていうことかな、どんな仕事をしてもやり切れるから。なんだろな~。楽しんでやる。作ることに対して楽しんで作りだす。そういう気持ちでやる。悪い言い方すると遊び感覚。遊びってゴルフでもなんでも楽しいじゃないですか。だから、そういう楽しみ方をするっていうのが1番いいんじゃないかって思うんだよね。苦しいって思いながらやってもいいものなんかできないもんね。

―でもやっぱり人間ってどうしても楽しめない場面ってあると思うんですよね。
うん。そうゆう部分ってあるよね。でも、私の場合はねそんなに嫌になったことがないかな~。まあ人に恵まれたっていう部分もあるよね。周りの人に小さいころもそうだし、東京に出てきてからもそうだし、ここに店を持ってからも、もう本当にすっごく人には恵まれたんだよね。だからそれが1番だね。何にも代えがたい。

―今までやめようと思ったことはないんですか?
それは…ないね。それは負けたっていうのと一緒だからね。それだけ周りの環境に恵まれたっていうのもあるよね。

―それはやっぱりご主人の人柄が大きかったんじゃないですか?
いやいや違う。そんなことないと思うよ。(笑)

―1番お世話になったなっていう人は誰ですか?
要するに、おそばでお世話になった人は横浜の親父さんで、ここにお店を持つ時にお世話になった人は借金するために銀行に掛け合ってくれたのは上のおせんべい屋さんのおじいちゃんだね。

―地元「益子」との繋がりは続いていますか?
けっこう栃木の人も来ますからね。店内に飾ってる焼き物もお客さんからもらった益子焼きのものなんだよ。他にも飾ってるのもお客さんからもらったやつでね、絵画とか写真とか。

―お客さんにも愛されてますね
どうなんでしょうね。もらったもので飾り付けてるけどね(笑)

職人のプライド

―職人として1番やりがいを感じ瞬間はなんですか?
やっぱり。「おいしかった」っていう言葉を聞いた時だね。最高の言葉だよね。

―あなたにとって志な乃とはなんですか?
生きていくための道具だね。包丁とかと一緒ですよ。これがなきゃなんにもならないからね。あるからこそがんばれる。そういうことだね。
職人。それは強いこだわりは持ち続けること。しかしいくらこだわりたい思いがあってもなかなか持続させるのは難しい。今までにも様々な困難があったと予測するが、ご主人にはそれさえも楽しむ気持ちがあったのではないか。ご主人の楽しむ気持ちが続く限り職人としての道は終わらない。
しんじゅくノート学生記者 西村遥夏

志な乃
電話番号 03-3269-1411
住所   新宿区神楽坂2-10
営業時間 11:00~15:30
     17:00~20:30
  【土】11:00~19:30
定休日  日曜、祝日