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新宿区地域ポータル「しんじゅくノート」

指定文化財3件、登録文化財1件、地域文化財が2件、計6件が文化財に決定しました

新宿区の指定・登録文化財と地域文化財

シンボルマーク文化財愛護シンボルマーク
 新宿区は、古くから歴史的環境に恵まれ、地域の歴史や文化を伝える多くの文化財が伝えられています。
 新宿区では、これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和58年に「文化財保護条例」を制定し、区内の文化財で特に貴重なもの、保存する必要のあるものを区指定文化財・区登録文化財として保護するとともに、ガイドブックや地図での紹介、説明板の設置、一般公開の実施など、周知や活用をはかっています。
 また、平成23年4月からは新たに「地域文化財」制度を創設し、明治時代から高度経済成長期に至る近現代の文化財を中心に、保護と活用に努めています。

区指定・登録文化財と地域文化財の紹介

平成30年10月24日付で指定文化財が3件、登録文化財が1件、10月15日付で地域文化財が2件、決定しました。

平成30年度新たに指定・登録された文化財

平成30年10月24日付で指定文化財が3件、登録文化財が1件、10月15日付で地域文化財が2件、決定しました。

指定有形文化財(彫刻) 永福寺の銅造大日如来坐像

「永福寺の銅造大日如来坐像」永福寺の銅造大日如来坐像
新宿区新宿七丁目11番2号

 宝永6年(1709)に施主を二之宮甚六郎、作者を長谷川伊勢大掾藤原國保として造像されました。仏身各所に鋳接ぎの跡がみられることから、制作技法は木製原型による分鋳鋳接であることが分かります。
 本像は、明治初年まで区内厳島神社(抜弁天)の別当寺である二尊院に安置されていましたが、同院廃絶に伴い永福寺に移安されました。
 江戸時代には青銅製の丈六以上の大型な銅造大仏が多く制作されました。本像は丈六仏よりはるかに小さい、三尺ほどの像高(88.5センチ)ですが、制作技法や素材、仏像の種類(如来)、立地(露座)、形態(坐像)の点で、当時流行した銅造大仏の特徴を備えています。
 作者である長谷川伊勢大掾藤原國保は、江戸で活躍した仏具師で、17世紀末から18世紀にかけて仏像や梵鐘を7件手がけています(『江戸鋳師名譜』)。
 本像は銅造大仏隆盛の流れを受けた作例として、また地域の歴史や寺院の変遷等を知る上で、貴重な資料です。

指定有形文化財(彫刻) 永福寺の銅造地蔵菩薩半跏像

「永福寺の銅造地蔵菩薩半跏像」永福寺の銅造地蔵菩薩半跏像
新宿区新宿七丁目11番2号

 嘉永6年(1853)4月に、発願主を天正寺全戒、作者を粉川市正藤原國信として造像されました。左手に宝珠、右手に錫杖を執り、蓮華座上に半跏する形状は、延命地蔵尊の像容としてよく知られています。制作技法は木製原型による分鋳鋳接で、総高は179.8cmです。
 台座に陰刻された銘には、先祖供養や子孫繁栄といった願文のほか、363名の関係者の名前が刻まれており、なかには、久保田藩医で刑死者の解剖を行った高須松齋や、幕府天文方暦官船山左司馬などの名前がみえます。
 作者である粉川市正藤原國信は、天明元年(1781)から明治4年(1871)までの90年間に62例の鋳造を行っていますが、その多くは梵鐘です(『江戸鋳師名譜』)。活動期間に比すれば國信は数代にわたって踏襲された名前と推定されますが、國信銘の仏像はわずか4例で(現存2例)、本像はその一作例に当たります。
 本像は、近世新宿区域の寺院における檀徒の広がりを考察できる資料として、また粉川市正藤原國信の制作活動をうかがい知れる数少ない仏像の現存作例として重要です。

指定有形文化財(絵画) 済松寺の加藤文麗筆絵画作品

「達磨像」達磨像
新宿区榎町77番地

 済松寺(臨済宗妙心寺派)に伝来する、江戸中期の画家・加藤文麗の作品5件(「雪中南天図中啓」「瀟湘八景図巻」「二十八祖図」「達磨・徳山・臨済像」「大応国師・大燈国師・関山国師像」)からなります。
 加藤文麗(1706~1782)は、伊予の大洲藩主加藤泰恒の六男で、木挽町狩野家三代目の狩野如川周信に画を学びました。画風は、当時の狩野派の典型的なもので、江戸南画の中心画家である谷文晁はその弟子に当たります。
 江戸時代中後期には、寺院等を中心とした文化人の交流が数多く見られました。済松寺では第九世住職大鼎禅圭の代にこのようなサークルが形成され、文麗もそのメンバーでした。その縁で文麗の作品が済松寺に伝来したと推定されます。
 徳川家光ゆかりの寺院である済松寺は、宝暦13年(1763)に類焼したのち、翌年には仏殿が、明和7年(1770)には家康・秀忠・秀忠室崇源院を祀る三仏堂が再興されました。伽藍の再興と同時に、重要な什物である「二十八祖図」「達磨・徳山・臨済像」「大応国師・大燈国師・関山国師像」の制作が、済松寺における文化人サークルの繋がりにより、大鼎禅圭から文麗に依頼されたと推定されます。法系を重視する禅宗寺院においてこれらの作品が揃いで伝来することは、区域の寺院資料として重要であるとともに、江戸中後期における新宿区域の文化状況を伺い知れる貴重な資料です。

登録有形文化財(絵画)光照寺の涅槃図

登録有形文化財(絵画)光照寺の涅槃図画像
新宿区袋町15番地

 涅槃図は沙羅双樹の下で入滅する釈迦を描いた仏画で、一般的に釈迦が頭を北に、顔を西に、右脇を下にして臥し、周囲には悲しむ諸菩薩や仏弟子などが描かれます。
 浄土宗増上寺の末寺である光照寺に伝来する涅槃図は、本紙寸法縦267.1cm×横162.8cm、総寸法縦317.2cm×横196.4cmを測る大振りな涅槃図で、人物表現などの描写の特徴から、元禄から正徳年間(1688~1714)頃の、画技に習熟した江戸狩野派の画家によって描かれたものと推定されます。
 本紙上部に剥落箇所も見られますが、すでに修復済みであり、保存状態はおおむね良好です。区内に現存する貴重な江戸初中期の涅槃図として、また江戸狩野派の涅槃図として推定できる作品としても重要です。

平成30年度新たに認定された文化財

平成30年10月15日付で、2件の地域文化財を認定しました。

地域文化財 太宗寺の大震災紀念碑

「太宗寺の大震災紀念碑」太宗寺の大震災紀念碑
新宿区新宿二丁目9番2号

 関東大震災の記憶を継承するため、新聞社を発起人に、四谷区内の町会・区議会・商業組合など103の賛助者・賛助団体によって昭和4年(1929)に建立されました。揮毫は芝増上寺の道重信教によります。四谷区も関東大震災で被災しましたが、被災直後より被害の大きかった地域(現在の中央区、台東区、江東区等)から避難民を受け入れました。賛助者には復興に尽力した官吏・区吏・町会のほか、震災後の四谷区を象徴する百貨店らも名を連ねています。

地域文化財 放生寺の水掛け地蔵と大震火災死亡群霊塔

地域文化財 放生寺の水掛け地蔵と大震火災死亡群霊塔画像
新宿区西早稲田二丁目1番14号

 大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災の死者を弔うため、大正13年(1924)9月1日に建立されました。
 地蔵菩薩立像は、関東大震災後に高野山御廟橋前の地蔵尊を勧請した水掛け地蔵と伝えられます。

本ページに関するお問い合わせ

新宿区 文化観光産業部-文化観光課
電話:03(5273)4126 FAX:03(3209)1500
区政についてのご意見・ご質問は、ご意見フォームへ。

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