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新宿チビたび散歩

第3回 佐伯祐三アトリエ記念館

下落合にアトリエを構えたひとりの洋画家

2010/05/11

ひろ~い新宿区を、ちっちゃく区切って、ちょっとお出かけ“チビたび散歩”。寄り道したくなる場所や一度は行ってみたいスポットを訪ねて、ときには気になるあの人にひょこっとお話を聞いて、ぶらりぶらりとちょっとした旅気分でお散歩します。

今回は、「新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館」がオープンしたと聞き、下落合に来ました!  新宿区の落合地区には、50名を越える文学者、10名を越える画家が居を構えていたそうです。洋画家・佐伯祐三氏(1898年~1928年)もそのひとり。
 2010年4月28日(水)にオープンした、佐伯氏の記念館としては全国で初めてとなる佐伯祐三アトリエ記念館を訪ねます。

洋画家・佐伯祐三氏の日本で唯一のアトリエが落合に!

 佐伯祐三氏は明治31年生まれ。大正10年に米子夫人とともに、落合の地に移り住んできました。大正12年から15年まではフランスに渡り、ヴラマンクやユトリロの影響を受けてパリの街を描き続けました。その後大正15年に帰国し、再び落合を創作活動の拠点としたのです。この頃に連作である「下落合風景」に取り組みました。
 その後、再びフランスに渡ったものの、わずか1年後に30歳という若さで亡くなりました。

 その佐伯祐三氏が、日本で唯一アトリエを構えたのが落合の地。帰国した米子夫人が昭和47年に亡くなるまで暮らしていたアトリエと住宅を、新宿区が整備し、昭和50年から『佐伯公園』として公開していました。そして今年、公園内で保存されていたアトリエを整備し、記念館としてオープンしたのです。

 佐伯祐三アトリエ記念館は、西武新宿線下落合駅から歩いて10分ほどの、静かな住宅街の中に位置しています。
 聖母坂通りを上り、聖母病院を通り過ぎたあたりで見上げれば、ご覧の案内板がありますよ。
 左に曲がったら道なりに進み、案内板を左に入ってすぐのところです。
住宅街の中にある案内板を見逃さないように!
住宅街の中にある案内板を見逃さないように!
ありました! 着きました!
ありました! 着きました!

まずは、アトリエ拝見!

 まずは受付でパンフレットを受け取り、中へと入ってみましょう。白い壁に緑の屋根の建物があります。展示室として公開されているのは、アトリエと小部屋の2箇所です。
 向かって右の扉がアトリエ、左の扉が小部屋への入口です。

佐伯祐三を知る!

 ドアを入って右側の壁面には、佐伯祐三氏の略歴・年譜、そしてライフマスクが展示されています。
 年譜は、各時代の写真や作品と合わせて紹介されていますので、とてもわかりやすいですよ!
 ライフマスク、すなわち生前にとったものです! アトリエを建てたとき、白い漆喰の壁に使った材料があまったので、仲間と作ったと言われています。

佐伯祐三を見る!

下落合風景を写真パネルで紹介
下落合風景を写真パネルで紹介
 佐伯氏は、30点余りの『下落合風景』を描きました。中落合から下落合にかけては目白文化村と呼ばれ、高級分譲住宅地として売り出されました。『下落合風景』には、このようなモダンな作りの住宅も描かれているのです。
 その30点余りのうちの12点が、ドアから向かって左の壁面に、写真パネルで紹介されています。この地で、このアトリエで、描かれた作品群です。
どこで描かれたものか地図で紹介
どこで描かれたものか地図で紹介
 そして面白いのは、その作品がどこで、どの方向を向いて描かれたものなのか、当時の地図で紹介されていることです。
 実際にその地に赴いて、現在の街の様子と見比べて見るのもいいですね。

佐伯祐三を感じる!

 天井まで続く大きな窓の前には、『下落合風景(テニス)』の複写がイーゼルに乗せて置かれています。当時のイメージを再現したものです。
 残念ながら当時のアトリエ内の写真は残っていないので、実際に佐伯氏がどの場所で、どのように描いていたのかは不明だそうです。が、この大きな窓から降り注ぐ陽光を受けて描いている姿を想像するとワクワクしますね。
 映像『佐伯祐三と下落合』を上映しています。この下落合のアトリエにスポットを当て、佐伯氏の生涯を当時の写真や作品とともに、映像で紹介するものです。
 さらに、土・日・祝日にはボランティアの解説員もいますので、ぜひ詳しい説明を聞いてみてくださいね。