神楽坂の達人
この扉がお店へと続く階段の目印。
カフェの横にある階段を上るにつれて香る、焼けたパンの匂い。
3階にある扉を開けると、そこがドイツパンの並ぶパン屋『ベッカー』です。
パンが並ぶカウンターのすぐ奥にはオーブンや調理台があり、
ベッカーの店主、稲葉宣範さんがパンを作る様子を間近で見ることができます。
そんな、パンの香りが漂う店内で、稲葉さんにお話しを伺いました。
はじまりは京都から
―ベッカーというお店を開くに至った、それまでのご自身の経緯をお聞かせください。
29年くらい前に北町(※新宿区北町)で店をやっていたんですけど、
私はこっちへ来る前はね、関西にいたんですよ。
―ご出身が、ですか?
うん、大阪生まれ。
神戸に小学校中学校といて、それから高校の途中で京都へ行って。
そのあとはずっと京都にいて、パン屋という仕事に初めて就いたのも神戸でした。
―それは何か学校などに通われていたのですか。
いや、我々の頃はほとんど学校はなくて。まだ、そういう世界ではなかった。
どっかで修業っていうのは、どっかの店に入るってことでした。
―ではご自身もどこかのお店で?
そうそう。
―(この道を)選ばれたのには何かきっかけがあったのですか。
別にね、きっかけとかはなかったんだけども、ちょっとその前、体調が思わしくなくて。
住んでいるところからあんまり遠くへは行きたくないっていう気持ちがありました。
まぁはじめはね、こんなにきつい仕事だとは思わなくて。
最初入ったときは、ひょっとしたら具合が悪くなったらやめますよ、とも言っていたんですよ。
―そうだったのですね。その修行のお店には何年くらいいらしたのですか。
2年くらいやって、そのあとドイツに行ったんですよ。
修行の地は京都からドイツへ
お店のロゴになっている、
ドイツ発祥のプレッツェル。
―ドイツへは単身で?
そう。
ちょうどその頃、ドイツに知り合いができて。
その人がアルバイトしてたのが、ドイツ文化センターっていうところだったんですね。
そして、そのうち「ドイツパンもおもしろいよ」という話になって。
その頃はまだね、京都にはなくて。
興味はあったので、だんだん盛り上がって、「一度食べてみないとわからんよ」と言われて、行くことになった。
それで、その文化センターの所長が、「行くなら奨学金があるので、行きますか」という話をしてくれた。それで、「まぁ、ただなら行こうか」って、そんな気持ちで行きました。
まぁ本当は、京都でドイツパンをやってほしい、という目的が一部あって、それは自分でもわかってはいました。
けれども、日本へ帰ってくると、意外と京都で店を開くということは厳しいことだった。
―それは何か理由が?
資本的な問題。京都はちょっといいところは高いし。東京だってそうなんだけど、京都と比べると割と安かったかな。いろいろと賃貸条件っていうのが関西と関東では違くて。
それと、うちの奥さんが東京の人、ということもあって東京を選びました。
ステージは西の都から東の都へ
―それで東京にお店を開くことを決意されたのですか。それが29年くらい前?
そうですね、それが北町の店舗。昭和60年くらいかな。
―それがこのベッカーというお店の始まりであったんですね。
当時お店を開いたときはどのような思いがありましたか?
そうね、やっぱりドイツパンをやりたくて。それが一番大きいかな。
東京だったらいろいろ先輩みたいな店舗もあるし、自分が目標とするようなところがあるので。
―では、その北町の店舗の次が現在の店舗になるのですか。
そうそう、この建物の一階のね。
現在、『ベッカー』は、1、2階にカフェを構えるビルの3階にあります。
2011年に一度は閉店しましたが、同じビルの1階から3階に階を移して再オープン。
階は変わりましたが、現在も神楽坂の同じ場所で、営業を続けています。
さまざまな価値観の中で
店内には様々なパンが並びます。
―神楽坂という場所を選んだ理由はあったのですか。
いや、別にない(笑)
北町がすぐ近くにあるからっていうのとか、かな。
―1階の店舗を一度閉店した理由はなにかあったのですか。
従業員がいなくなった。
自分ひとりでできる商売でもないし、(売上等の)目標も北町のときに比べて大きかったから。
ここ(店舗が入っているビル)も作って、機械もいっぱいいれたので、それを一人、というか少人数じゃできないんだよね。
それと、後々人を入れたとしても今後は続かないだろうと思って。
こういう商売には今後なかなか人が入らない、入ったとしても大手へ行く人が多いだろう、と思って。
―その後、1階から3階へ階を移しての再オープンに至りましたが、
それは、やっぱり続けたいという強い気持ちがあったからなのですか。
いや、そんな強い気持ちはない(笑)
ただ、やっぱり完全に辞めちゃうのはさみしいし、前のお客さんもいたからね。
僕は自分で何かをやってないと、周りが見えなくなって、世の中がわからなくなるから…。
―なるほど。”周り”という言葉が出ましたが、神楽坂のお店や人との繋がりというものはありますか。感じますか。
東京もこういう時代になってくると、そういうのはあまり関係なくなってくるのかも。
そういう繋がりが、増えそうで増えない。
たとえば、住んでいる場所があまり近くない人と親しくする人もいれば、そういう付き合いはしない人もいる。だけど、全然関係ない人とは友達、っていうこともある。
だから、それは価値観、人の価値観の問題だと思うよ。
真ん中は『クロワッサン ノアゼット』
ヘーゼルナッツのクリームをクロワッサンに載せて焼いているそう。
―あぁ、そうかもしれないですね。
だから、食べ物飲み物の趣味が全然違ったり、価値観が全然違うと、話がやっぱ合わなくなるじゃない。おまけに歳取ってくると余計にね。
若いときは「はいはい」って言って一緒にお酒を呑んでれば、それでも何とかなるけど、段々そうはいかなくなってくる。
だからね…、増えそうで増えない、知り合いとか友達が。
外国なんかは、みんな歳とってもうまく付き合って、町中が和気あいあいで、何かするとかじゃなくてもちょっと表で色々話して、っていう、ねぇ。
―ありますね、そういう場面。
そういうのがまずなくなっちゃった。
―そうなんですね…。
だから、すべてそうですよね。それは日本のさみしいところだなって思う。
―確かにそうなのかもしれないですね…。
ところで、お店の話に戻りますが、お客さんは神楽坂の方が多いのですか。
それがね、ちょっと違う。
スーパーとかでは、食パンが100円以下で売ってたりするわけでしょ。
だから、みんなそういうところで買っちゃうんですよね。ここもスーパーが近くにあるからよくわかってはいるんだけど…。
―では、どちらかというと、街のお客さんというよりは、以前からのお客さんというか、そういう方たちのほうが…?
そうですね、けれども、必ずしも、以前からっていう人たちばっかりではないです。
段々ね、お客さんを増やしていかなくちゃとは思うけど…、こういうタイプの商品ってのは急にはお客さんが増えないんですよ。
―ご自身の気持ちとしては、新しいお客さんを増やしたいというよりはこじんまりと、といったところでしょうか。
そうね、目いっぱい作っても、たかが知れているからね。
注文が重なるとそれでいっぱいいっぱいになるし、いくらでも注文を受けてやったほうがいいのかっていうと、それはどうなのかなって。
それよりも体のほうが大事だね。
―なるほど。本日は貴重なお時間ありがとうございました。また、パンを買いに来ます!
カウンター越しにパンを作る稲葉さんとの会話を楽しみ、
時に、稲葉さんの職人技の手つきに見入り、
パンの香り漂う店内でパンを選ぶ。
そんな、静かな日中のひとときがベッカーにはあります。
ひとつひとつ丁寧に作られたパンを、
ひとつひとつ自分で選ぶ。
そんな時間を大事にしたい、
そう、筆者は感じました。
しんじゅくノート学生記者 山崎璃子
BACKER(ベッカー)
住所:〒162-0825
東京都新宿区神楽坂6-8 カフェ・トリエステーノ3階
電話・FAX:03-3513-7866
定休日:水曜日