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神楽坂歳時記

光照寺

枝垂桜も見れるスポット

2010/03/09

はじまりは神楽坂上交差点から

まもなく春。そして桜の開花シーズンですね。今回は神楽坂周辺で桜が見れるスポットをご紹介いたします。

神楽坂上の交差点を飯田橋駅(外堀通り)方面へ進み一つ目の曲がり角を右へ入ると、「わらだな」と呼ばれる一角があります。そこは昔、藁を商う店があったことからそう呼ばれるようになったそうです。その先を真直ぐに進んでいきますと、光照寺の子安地蔵にちなんで「地蔵坂」と呼ばれるようになった坂があります。
神楽坂坂上から飯田橋駅方面を望んだところ。神楽坂通り商店会の多彩なお店が行き交う人を魅了する。
神楽坂坂上から飯田橋駅方面を望んだところ。神楽坂通り商店会の多彩なお店が行き交う人を魅了する。
わらだなと呼ばれる一角に入ったところ。最初は穏やかに見える坂の斜面も少し進むと・・・。
わらだなと呼ばれる一角に入ったところ。最初は穏やかに見える坂の斜面も少し進むと・・・。
写真を見ていただければ勾配がどれほどのものかおわかりいただけるかと。結構キツイんです。
写真を見ていただければ勾配がどれほどのものかおわかりいただけるかと。結構キツイんです。
坂を登った角には地蔵坂と書かれた目印も設置されている。
坂を登った角には地蔵坂と書かれた目印も設置されている。

地蔵坂から光照寺へ

地蔵坂を進むと左手に光照寺の名が刻まれた石が見えます。石の向かいには新宿区登録史跡の「牛込城跡(うしごめしろあと)」として、光照寺に関する説明が記載されたボードがあります。

現在は城跡としての面影はほとんどない光照寺ですが、元々は鎌倉から室町時代にかけて大胡氏、牛込氏といった豪族の城(牛込城)として一帯を支配していたそうです。中世の牛込7ヵ村の中で唯一、町屋が形成されていた地区でもありました。その後、江戸初期になって廃城され光照寺となったそうです。
静かな街の中で存在感のある光照寺の名前が刻まれた石碑。
静かな街の中で存在感のある光照寺の名前が刻まれた石碑。
石碑の向かいにあるボード。訪れたら必ず読んでおきたい。
石碑の向かいにあるボード。訪れたら必ず読んでおきたい。
光照寺の境内。
光照寺の境内。
境内の右手(境内側から見ると左手)にある枝垂桜。
境内の右手(境内側から見ると左手)にある枝垂桜。
3月5日時点ではまだ蕾の状態。
3月5日時点ではまだ蕾の状態。
鐘楼堂の前の白梅は既に開花していた。
鐘楼堂の前の白梅は既に開花していた。
その光照寺の境内には旅の途中で亡くなった人を供養する「諸国旅人供養碑」、江戸時代の狂歌師・便々館湖鯉鮒の墓などがあります。本堂の両脇には有名な枝垂桜が、墓地の奥には桜の名木があります。鐘楼堂の前には白梅もありますので、春先にかけて神楽坂を訪れる際には是非、立ち寄ってみたい場所のひとつです。

※墓地内ではマナー良くご鑑賞ください。
記事編集協力:神楽坂通り商店会 広報担当 岡崎真一氏

神楽坂通り商店会は、JR飯田橋駅西口から外堀通りを渡った神楽坂の中心的な商店会。神楽坂下(神楽坂1丁目)の交差点から神楽坂上(神楽坂5丁目)の交差点までの早稲田通り(通称:神楽坂通り)に面する商店が加盟しており、明治・大正創業の歴史ある店舗も残る活気溢れる商店会です。

●神楽坂通り商店会のホームページはこちら